頭がおかしいと攻撃的になるのかも

当然と言えばそうかもしれないけれど、

すごくすごく落ち込んでいるとき、何かを考える余裕がなかった。

毎日、時間を過ごすことが苦痛で、まともな思考がなかった。

 

イライラしているとき、自分でも驚くほどに攻撃的になった。

 

とある朝、自転車を押した男とすれ違うときにハンドルがぶつかった。手すりがあって私は避けようがなかった。ムカッとした私は振り返って

「クソ!」

と言った。

 

自転車を押していた男は振り返りもせず謝りもしなかった。

私は2,3歩進んで立ち止まった。

 

頭の中から一切の思考が消えて、視界もおかしかった。

周りが白く見えた。

 

私は早歩きで男を追いかけながらその辺に落ちていた手ごろな木の枝を拾った。

あまりの勢いに何か感づいたのかして、男が振り返った。

 

私は思い切り枝を投げつけた。

当たらなかった。

残念。

 

男が怖かったので私は後ろを見ずにスタスタ今来た道を戻った。

落ちている石ころを見つけて「チッ、石ころがあったなら石を投げたのに」と思った。(ありえない)

男への怒りと枝が当たらなかったことに対する残念さと、自分が意味の分からないことをしていることへの戸惑いでいっぱいだった。

 

何やってんの、自分。

そうは思ったけれど自分のやったことに現実味がなかった。

ドキドキしてた。

 

 

学科に女の子が新しく入って来た。

 

私は自分があまり人と打ち解けられないタイプだから、積極的な人が好きだ。

好きというのとはまた違うかもしれないけれど、とりあえず友達のほとんどは積極的な人だ。

 

しかし彼女は積極的過ぎた。

(私からすると)筋の通らないことを話し、内容を忘れてしまったけれど「それを聞いてどうするの?」とつい思ってしまうことを私にしつこく聞いてきた。

 

「それを聞いてどうするの?」

言ってしまっていた。

それから関わるのが面倒で避けていたら察したらしく近付いてこなくなった。

 

安心したけど少し罪悪感があった。

程度の差はあるかもしれないけれど拒まれるのが悲しいのは彼女も同じだろうから…。

それにこの頃すごく鬱っぽかったからこういう不親切な反応を返してしまったのだと分かっているからなおさら辛かった。

 

 

駅の近くにタクシーが客待ちをしているところがある。

歩道と車道の区別が曖昧で、だから一応歩行者が優先されるはずの場所だ。

 

そこでタクシーに向かって怒鳴っているオジサンを見かけて、

おやおや

と思っていた日からしばらくしてそこを通りかかったとき

 

私が道を渡り掛かっているのに止まらなかったタクシーがあった。

私がタクシーに気付いていて止まると思ったのだろう。

怪我したくないので止まった。けれど止まるべきは向こうなのだからムカついた。

 

先週、怒鳴っているオジサンのことを「大人げないなぁ。ぶつかって怪我するのはこちらなんだから大人しく待てばいいのに」と思ったことも覚えていたけれど、

 

目の前を通るタクシーを思いっきり蹴った。

 

ボン、と軽い音を立ててタクシーは走り去っていった。

前から歩いてきた人が「おお」と言うのが聞こえて恥ずかしくなった。

しかし今週は彼女がタクシーを蹴っ飛ばしているかもしれない。

 

こんな感じでずっとイライラして、些細な事で人を攻撃していた。

 

 

けど最近外を歩いていて、以前だとイライラしたことをスルーできるようになっている気がすることに気付いた。

電車を降りてすぐのところで立ち止まっている人をよけながら、前だったら「こんなところで立ち止まってるとか脳みそあるの!?」とか思って怒ってたなぁ、と思った。

 

少しずつ精神状態がましになっているのならいいな。

好意を向けられるのが怖い。

本当の私を知ったらあなたはきっと離れていくでしょ?

 

そう思って、わざと実際の私より変な振りをして、さっさと離れて行って欲しくて、

でも

 

 

知り合いの夫婦。

私の事を「愛するむすめ」と呼んでくれる人たち。

 

二人が他にも数人可愛がってる女の子がいるのは知ってた。

だから頻繁にポストカードを送ってこられても、プレゼントが送りつけてこられても気にせずにすんだ。

 

遊びに行ったとき

「君は特別だ」「愛してる」

と言われた。

「あなたたちは私の事を何も知らないでしょう」

そう言ったけれど、逆効果だった。

「君が君のことを知らないんじゃないのか。君は素晴らしい」

だって?泣きそうだった。微妙な嬉しさと、罪悪感で。

 

メッセージを送るときたまに「ママ、パパ」と書いた。

すごく喜んでくれたけれど、毎回はできない。私は二人のことを「ママ」とも「パパ」とも思ってないから。

 

全くの赤の他人の私の何を知っていて、どうして好きでいてくれるのか分からないし、向けられる好意が理解できなくて怖い。私は彼らを騙している気がして仕方がない。

  

「私達は子どもいないし、適当に大人しそうな子と親子ごっこがしたいだけよ」

と本音を正直に言ってくれてたら、安心してもう少しいっぱい「ママ、パパ」って書けたと思う。

何も悪い事なんて(少なくとも彼らに対しては)したことないと誓えるのに、どうして?

 

 

小中と同級生だった知り合いから今更告白された。

 

女に飢えてて、名前知ってる女全員にそういうくだらないことをしているんだろう、と思った。電話が掛かってきたので「チャンスは全く無いし、くだらないことをしてまわるのはやめた方が良いよ」と言った。私にはお見通しだ。

 

「就職して生活も落ち着いてきたから連絡した。ずっと好きだった。誰にもそんなこと言ってない」

みたいな返事だった。

 

みんな大抵私が欲しい答えはくれない。

私は正直にしているのだから向こうも正直に返事してほしい。

「アハハ、やっぱバレたかぁ~。てめーなんかをまじで10年間好きでいるやついるわけないもんなー。ラッキー狙って適当に書いた!!」

そう言ってくれたら、私は笑って、

「もーバレバレ。ま、引っかかる人いないと思うけどがんば~」

って言って、二人で和気あいあいと今まで通りのただの昔の同級生に戻れたのに。

 

頭は良くないけど真面目な人だったのに。人は10年もあれば真剣な声音でウソをつけるクズになれるんだと知った。いつまでも成長できないのは私だけらしい。

 

「過去を美化してるだけだよ、ほら、私すごく性格悪かったじゃん。忘れたの?街コンとかそういうの流行ってるんでしょ。行けば?」

アドバイスしたのに

「彼女が欲しいとか、そういうのじゃないから」

と言われた。

 

だったら何?だったら何?やめてよね。

真剣に10年間私を想ってたとか、私は絶対に信じない。

信じない代わりに、簡単に落とせそうな女だと思われたんだと、本気で信じてる。

ていうか実際そうでしょ。

 

 

最後に好きになった人

「そのままでいなよ。そのままの君が好きになったんだよ」

その割には私に勤勉であれだとかスカート履けとか外で酒飲むなとかウザかった。

 

好きじゃないふりをしてた。自分で自分も騙してた。

「嘘つき」「本当の私を君は知らないでしょ」

私は彼に「好き」と言われるたびにそう言ってた。

 

最後の電話で

「私は見た目と中身が違うって言われる」

と言ったら

「僕はそうは思わない」

と返された。

 

「好きだったのは君の黒い瞳だよ。でも中身は嫌いだ。ジャパニーズガールは簡単だって聞いてたのに」

そう言ってくれてたら私はきっと安心できたのに。

 

 

褒められるたびにどう返事をしていいのか分からなくなる。

どこかで「褒め言葉を素直に受け取らないのは失礼だ」と読んだから。

 

「(お世辞と言うか大ウソだけど)美人ですね」

「(幼稚園児が左手で描いた絵よりは)上手な絵ですね」

「(目が二つあるところが)あの女優さんに似てますね(あ、鼻も口も一つだ)」

「(その辺のカエルよりは)頭良いんですね~」

 

私に向けられる褒め言葉なんて大体実際はこんなものなのだと思う。

気にしないし、むしろそう言ってくれた方が嬉しいから(カッコ)の中もきちんと発声して欲しい。

 

そしたら私も何の屈託もなく、心からの笑顔で

「でしょ?ありがとうございます」

って言えるのに。

 

そもそも褒め言葉なんて私にはもったいないから最初から言わないでくれたらいい。

 

こう書くと、私が普段褒めたくもない人を無理に褒めてるように見えそうだけど、大抵は褒めたいことを素直に褒める。でも他人がそうしているとは思えない。私に褒めるところがないからだ。

 

いや、分かってる。みんな深く考えずにお世辞とか言っているんだ。別に誰も私について一々考えてお世辞を言うはずがない。

外国人がちょっと日本語喋るだけでみんな「ペラペラ~スゴイ~」と言うのと同じだ。(これは私もやる)

 

自己肯定感が低いからこうなるとか知ってる。

でも仕方ない。

上げる方法が分からないから。

 

自分に向き合ってありのままの自分を見つめて

とか。

 

私は空洞なのに、自分を見つめても、空洞が私を見つめ返してくるだけだ

精神病の両親とファッション精神病の私

ずっと母はおかしかった。

本当におかしい人と比べたらまともなんだろう。

でもちょっとでも気に食わないことをすると、長いと一週間くらい無視されたり、人格否定をされたり、「一緒に高速道路の高架から飛び降りよう」と言われたことまであった。何もしていないのによく妹をいじめたことにされた。

 

知り合い全員の悪口をいつも言っていた。

聞こえるように家族の悪口も言っていた。

 

事あるごとに「お弁当作りませんからね」と脅された。

お弁当なんかいらない、とは言えなかった。

 

中学になって買ってもらった電子辞書に「家庭の医学」が入っていた。

家庭の医学の「こころの病気」のあちこちの項目に母があてはまる気がした。

彼女は病気だ、そう思って我慢した。

 

部屋のクローゼットで泣いていた。

 

「嫌い」という一言だけは言ってはいけない気がして、決して誰にも言ったことがなかったけれど、母は普通に私に「嫌いだ」と言ってきた。

 

「あんたみたいな子とどこにも行きたくない」

そう言われたからそれをずっと覚えていてある日

「お母さんなんかとどこも行きたくない」

そう言ったら

「なんでそんなことを言うの」

だって。

私のセリフだ。

 

子どもを傷付けて楽しかった?

どうして?

更年期だからって子どもを傷付けていいの?

中学の頃は特に、家庭内で嫌な思い出しか残っていない。

 

 

父は気の強い母の前で空気だった。

いつの間にか心療内科に通うようになっていた。

夫婦で行けよと思う。

 

父のヒロイックにはウンザリだ。

世界中の不幸を背負ったような負のオーラ。

自分だけが不幸だとでも言いたげに、あそこが痛い、ここがどうのとボソボソ聞き取れないような声量で何か言ってる。

 

いつも私に話しかけもしないくせに、嫌な事だけは言ってくる。

母の言う事を鵜呑みにして、私を怒鳴りつけて叩いてきたことがあった。

私も反抗期だったけど、子どもを理解しようと思えないのなら、近寄らないで欲しい。

 

精神病は遺伝する。気がする。

私は怖かった。

精神科に行ったら病名が付きそうなレベルで鬱っぽかったこともあったけれど、毎日電車の中で、図書館でボロボロ泣きながらも結局精神科には行けなかった。

 

病名が着いたら本当に病気になってしまう。

そんな気がした。

 

「何悲劇のヒロインぶって泣いてるの?」

「ファッション鬱www」

「何が悲しいの。ダッサ」

「我慢してたら、また元通りになれるから頑張って」

毎日頭の中でそう自分にそう言っていた。

今も言ってる。

 

臆病だし、色々あって能動的に死のうとは思えないけれど、明日死ぬとしても別にいいやって思う。

けれどこんなに部屋が汚いと、死んだあと恥ずかしいから死ぬ前に部屋を片付けよう。

 

3年ぶりくらいに里帰りした。

母親は丸くなっていて、父親の精神状態は落ち着いていた。

 

「昔したことはどうしようもない、謝ってるでしょ。お母さんは子どもを守りたかっただけ」

母に昔の事を言ったら泣きながらそう言われた。

 

分かってるけれど、人のこと壊しておいて、そんなもの?

父に昔の事を責めようとは思えなかった。どうせ自分が何か悪い事をしたなんて思ってないだろう。いつだって彼は被害者だしまた病まれたら困る。

 

そんなこんなで私だけ精神病すれすれの状態だ。

原因の二人はなんだかんだでケロっとしていて呆れる。

 

両親の悪口を散々書いておいてなんだけれど、今も私は経済的に全く親に頼っている。

ずっと専業主婦だったのに、年取ってから私に仕送りするために働かなければいけない母を見ると、申し訳ないと思うけれど、心のどこかでいい気味だと思う自分がいる。

 

母なりの贖罪なんだろうか。

泣けて仕方がない。

 

幸せな家庭で育ちたかった。

どうして普通に愛情を注いでくれなかったんだろう。

はじめましてとごめんなさい

とあるところから逃げてここへやってきました。

 

どうしてこうも”良いカッコしい”なのだろう。

それでも、あそこで私のこういう面をこれ以上晒したくなくて。

 

インターネット上ですら自分をさらけ出せない私はどうしたらいいんだろう。

 

自意識過剰なのは分かっているし、大体見られたくないのならプライベートな日記に書いとけって感じだけれども、それでもほんの少しの共感を本当は欲していて。

 

わがままで、ヒロイックで、陰気で。

でもここでは少なくとも素直でいたい。