精神病の両親とファッション精神病の私

ずっと母はおかしかった。

本当におかしい人と比べたらまともなんだろう。

でもちょっとでも気に食わないことをすると、長いと一週間くらい無視されたり、人格否定をされたり、「一緒に高速道路の高架から飛び降りよう」と言われたことまであった。何もしていないのによく妹をいじめたことにされた。

 

知り合い全員の悪口をいつも言っていた。

聞こえるように家族の悪口も言っていた。

 

事あるごとに「お弁当作りませんからね」と脅された。

お弁当なんかいらない、とは言えなかった。

 

中学になって買ってもらった電子辞書に「家庭の医学」が入っていた。

家庭の医学の「こころの病気」のあちこちの項目に母があてはまる気がした。

彼女は病気だ、そう思って我慢した。

 

部屋のクローゼットで泣いていた。

 

「嫌い」という一言だけは言ってはいけない気がして、決して誰にも言ったことがなかったけれど、母は普通に私に「嫌いだ」と言ってきた。

 

「あんたみたいな子とどこにも行きたくない」

そう言われたからそれをずっと覚えていてある日

「お母さんなんかとどこも行きたくない」

そう言ったら

「なんでそんなことを言うの」

だって。

私のセリフだ。

 

子どもを傷付けて楽しかった?

どうして?

更年期だからって子どもを傷付けていいの?

中学の頃は特に、家庭内で嫌な思い出しか残っていない。

 

 

父は気の強い母の前で空気だった。

いつの間にか心療内科に通うようになっていた。

夫婦で行けよと思う。

 

父のヒロイックにはウンザリだ。

世界中の不幸を背負ったような負のオーラ。

自分だけが不幸だとでも言いたげに、あそこが痛い、ここがどうのとボソボソ聞き取れないような声量で何か言ってる。

 

いつも私に話しかけもしないくせに、嫌な事だけは言ってくる。

母の言う事を鵜呑みにして、私を怒鳴りつけて叩いてきたことがあった。

私も反抗期だったけど、子どもを理解しようと思えないのなら、近寄らないで欲しい。

 

精神病は遺伝する。気がする。

私は怖かった。

精神科に行ったら病名が付きそうなレベルで鬱っぽかったこともあったけれど、毎日電車の中で、図書館でボロボロ泣きながらも結局精神科には行けなかった。

 

病名が着いたら本当に病気になってしまう。

そんな気がした。

 

「何悲劇のヒロインぶって泣いてるの?」

「ファッション鬱www」

「何が悲しいの。ダッサ」

「我慢してたら、また元通りになれるから頑張って」

毎日頭の中でそう自分にそう言っていた。

今も言ってる。

 

臆病だし、色々あって能動的に死のうとは思えないけれど、明日死ぬとしても別にいいやって思う。

けれどこんなに部屋が汚いと、死んだあと恥ずかしいから死ぬ前に部屋を片付けよう。

 

3年ぶりくらいに里帰りした。

母親は丸くなっていて、父親の精神状態は落ち着いていた。

 

「昔したことはどうしようもない、謝ってるでしょ。お母さんは子どもを守りたかっただけ」

母に昔の事を言ったら泣きながらそう言われた。

 

分かってるけれど、人のこと壊しておいて、そんなもの?

父に昔の事を責めようとは思えなかった。どうせ自分が何か悪い事をしたなんて思ってないだろう。いつだって彼は被害者だしまた病まれたら困る。

 

そんなこんなで私だけ精神病すれすれの状態だ。

原因の二人はなんだかんだでケロっとしていて呆れる。

 

両親の悪口を散々書いておいてなんだけれど、今も私は経済的に全く親に頼っている。

ずっと専業主婦だったのに、年取ってから私に仕送りするために働かなければいけない母を見ると、申し訳ないと思うけれど、心のどこかでいい気味だと思う自分がいる。

 

母なりの贖罪なんだろうか。

泣けて仕方がない。

 

幸せな家庭で育ちたかった。

どうして普通に愛情を注いでくれなかったんだろう。